大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和38年(行)5号 判決 1969年2月25日

原告 松岡芳子

被告 神戸西労働基準監督署長

訴訟代理人 氏原瑞穂 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

第一、本案前の抗弁について

被告は、原告の本訴提起は行政審査の手続を経ないでなされたもので、不適法であるというが、本訴提起の後ではあるが、本件口頭弁論終結時までに後記被告の決定に対する原告からの不服申立により請求原因第四項記載の経過で各審査手続が履践されたことは被告もこれを認めるところであり、そうすると本訴の適法性は、本件口頭弁論中における審査手続の経過によつて具備されるに至つたものと解すべきであり、被告の右本案前の抗弁は理由がない。

第二、本案の当否について

一、原告が訴外亡嵩の配偶者であり、嵩が昭和三六年一一月一二日神戸市舞子海岸沖合においてアクアラングをつけて潜水中死亡するに至つたこと、当時嵩はナシヨナル社の工業用品部の業務部長としての仕事をしていたこと、被告(当時の署長村田一雄)は原告からの労働者災害補償保険法にもとづく遺族補償金一六三万〇四三〇円及び葬祭料金九万七七二五円計金一七二万八二五五円の請求に対し、昭和三八年二月二〇日付をもつて、右嵩の死亡は業務外の行為であるとして不支給の決定をしたことの各事実は、当事者間に争いがない。

二、そこで以下本件の争点である、嵩の死亡が労災法にいう業務上の死亡に当るかについて判断する。

(一)<証拠省略>を総合して考察すると次の事実を認めることができる。即ち、

ナシヨナル社という会社は、訴外松岡貞吉の個人企業から次第に発展して昭和二三年六月一八日にタイヤ、チユーブその他のゴム製品の製造販売を目的として設立された株式会社であるが、会社となつて後も右貞吉が会社支配の実権を持ち、松岡の一族が同会社の役員の大半を占め、従つて貞吉の三男である嵩も、大学在学中からナシヨナル社の社員として関与し、大学卒業後の昭和三二年四月には同社の取締役に、同三四年には代表取締役に就任し、昭和三六年一一月当時は同社の常務取締役の役職にあつて同社に常勤し、主として工業製品部門を担当していたが、実質的には同社の経営責任者としての実権を持つて同社の業績の向上に専心努力していたこと、ナシヨナル社では昭和三五年頃から潜水服用のスポンジゴムの開発に成功し、当初は東京のコクゴ護謨株式会社に納入していたが、昭和三六年二月に日本アクアラング株式会社(以下アクアラング社という)が成立するに及んで同社に対しても右スポンジゴムを納品するようになつていたこと、ところで、右アクアラング社というのは、訴外帝国酸素株式会社、同川崎航空機工業株式会杜、フランスのアクアラング製造のスピロテニツク社の三社が合弁で、日本におけるアクアラングの製造普及を目的として設立されたものであり、ナシヨナル社のスポンジゴムがアクアラングスーツの生地としての適合性を承認されてアクアラング社の製造する潜水服に用ひられるようになつていたのであるが、こうした関係で嵩はアクアラング社の専務取締役の地位にあつた訴外中村泰士と知合いになつたこと、嵩、右中村とも関係する会杜の製品の関係からアクアラング遊びに興味を持つようになつていたのであるが、そもそもアクアラング遊びというものは水中遊技の一種であるが、その性質上水中における口での呼吸法、水中でのマスクの操作、バランスの維持等の基本技術の習得を必要とするものであり、然も初歩的段階にあつては鉄則として単独行動を避けることが要請されるところ、嵩及び中村の両名はともに初心者の域を出ず、このためアクアラング社の社員であつて専門的技術を有していた訴外上島章生からアクアラングの技術指導を受けることとなり、昭和三六年一一月三日の休日を利用して、嵩、訴外水口道也(ナシヨナル社工業用品課長)、同中村、同上島の四名が神戸市舞子海岸で約一時間程アクアラングの初歩的技術の習得を試みたが、折悪しく雨が降り始めて中止の止むなきに至つたため、帰途一同で酒をくみかわしている間に更に同月一二日の日曜日にもう一度アクアラング遊びをやることに一決し、その後においてナシヨナル社では一二日のアクアラングについて同行者を募るようなこともあつたこと、たまたま同月の始め頃アクアラング社の親会社としてアクアラングの製造に技術指導の役割を果していたフランスのラスピロテニツク社から技術部長の職責にあつた訴外グルジエーが来日し帝国酸素の専務をしていた訴外メリーともども神戸のアクアラング社及びそのウエツトスーツ用スポンジゴムの購入先であるナシヨナル社を訪れたのであるが、右二名のフランス人はともにアクアラングに相当の技術を有していたところから、訴外中村に対しアクアラング遊びを試みる話を持込んだが、その際前述のように訴外中村においてすでに同月一二日に嵩らとアクアラング遊びをする予定であることを知つてこれと合流することになり、そこで訴外中村から嵩に対しその旨の連絡があつたこと、そこで嵩は、ナシヨナル社の従業員をして、一二日当日の休憩旅館、二隻の伝馬船等の手配をさせ、経費は右会社をして負担させる積りでいたので参加する者とは別段費用の負担につき約定をしていなかつたこと、当日グルジエー、メリー、アクアラング社の中村、上島、ナシヨナル社の嵩、水口、取締役の平山、工業用品販売係の古田、その外にたまたま途中で会つて連れてこられたナシヨナル社の工員訴外今井の合計九名が、予定されてあつた旅館で落合い、着替えをすませて、同日午前一一時頃から一隻にフランス人二名及びアクアラング社の二名が他の一隻にナシヨナル社の五名が分乗して、沖合いに漕出し、アクアラング遊びを始めたが、潮流を避けて一たん場所を変えて潜水するようになつたところ、再開後僅か三〇分足らずのうちに、何時しか嵩の姿が見えなくなつたことから大騒ぎとなり、その後沖合二〇〇米位のところに一度は浮かみ出たような気配があつたものの、一同の必死の捜索に拘らず遂に嵩の姿を発見することができず、結局約五日程して和歌山市方面に嵩の死体が漂着したこと、の各事実を認めることができる<証拠省略>が、右当日のアクアラングによる潜水遊びがナシヨナル社の製品であるアクアラング服の検査をも目的としていたとの、<証拠省略>は右認定の各事実に対比して一見極めて不自然であるし、また特に検査目的を窺わせるに足るその他の事情を証する証拠もないので、到底措信し難いし、また同証人らの当日の目的がナシヨナル社の訴外グルジエーらの招待であると断定している部分も同様に直ちに措信し難い。

(二)  そこで以上認定の事実に徴して考えるに、ナシヨナル社における嵩の経営実権者としての地位、フランス人二名の地位、及び現在の我国の取引の実態として予想し得るところから判断すると、嵩においてグルジエー、メリーの二名のフランス人を既に予定していたアクアラング遊びに合流させ、一日の行楽をともにしようと計り然もナシヨナル社が全体としての費用を負担する積りで準備に当つたということから見て嵩の気持に右両名のアクアラング社に対する発言力の大きさを考慮した経常上の配慮があつたとの一面は否定し難いといわねばならない。しかしながら前記認定のとおりアクアラングによる潜水遊技は、或る種の基礎的訓練を必要とし、危険防止の基本的鉄則も存在することからも判るように、或る程度の生命身体に対する危険性を伴う、所謂冒険的要素をも加味した意味で個人の趣味としての側面が強く、同好の士間の親近感を昂める効果はあつてもこういつたアクアラング遊びを共にすることは他人を招待する方法としては社会通念上一般的とは謂い難いし、然も本件にあつては前記認定から窺えるように、当日のアクアラング遊びは、既に一週間前に同好者の間で、前回の継続として実施が予定されていたものであつたところに、後でフランス人二名が合流したもので、同人らに対する親交を昂め、取引の円滑化に供するとの意図は極めて附随的、偶発的であり、然もその当時嵩自身が個人的趣味としてアクアラング遊びに興味を深めていたが、技術的には未だ初歩的で習熟者の指導を受ける程度であつたことから見ると、派生的意図の共存、費用負担の如何にかかわらず、嵩の右事故当日のアクアラング遊びは、その本質として嵩個人の私的な趣味の追及、余暇利用行為であつて、業務には該当しないと解せざるを得ない。もつとも、社会保険庁長官は原告に対する厚生年金支給の関係で嵩の死亡を業務上の死亡と認定しており、この事実は被告も認めるところであるが、右認定自体が本件についての前記の判断を妨げるものでないし、<証拠省略>から見ても、前記の判断に支障をきたすものとも考え難い。

三、以上のとおりで、嵩の死亡は業務の遂行中に生起したものでなく、即ち業務上の死亡に当らないと謂うべきであるから、その余の点について判断するまでもなく、同趣旨の判断に立つて、原告からの労災法に基づく遺族補償費等の支給申請に対して、昭和三八年二月二〇日になした被告の不支給決定は適法であつて、これを取消す理由がない。

よつて原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中島孝信 田畑豊 松島和成)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例